岸田内閣が国内スタートアップ支援を目玉政策として掲げ、2022年は「スタートアップ創出元年」と位置づけられています。スタートアップ振興に関するニュースも目にするようになりました。それ自体は大変素晴らしいことだと思います。

 一方で、「スタートアップを5年で10倍に増やす」ことがイノベーションをもたらすかというと、筆者はそれだけでは真のイノベーションは起き得ないと考えています。

 それはなぜでしょうか? そこには人材の問題が密接に結びついています。

スタートアップに必要な人材は創業者だけではない

 第1回の寄稿でも記しましたが、スタートアップとは本質的に「人」です。「最後に人」ではなく「最初から人」。では、その「人」とはどういった人材を指すのでしょう?

 この数年、時の政権は「アントレプレナーを増やしましょう」という政策を推し進めてきました。アントレプレナーが増え、スタートアップの数が増えたことは大いに評価すべきでしょう。しかし、実際にスタートアップを立ち上げ、会社を経営してきた立場として、様々なスタートアップを見ていて思うことがあります。それは、優秀な人材が、適切なタイミングでスタートアップに加わるということが、起業に勝るとも劣らないほどに重要だということです。また、同時に人材獲得の遅れが事業成長の足かせとなっている会社が思いのほか多いのです。

 その意味で、日本のスタートアップ界隈(かいわい)では優秀な人材がまだまだ足りていないと筆者は考えています。テークオフし始めた会社に、優秀な人材の参画が増えてきたことは事実で、非常に良い流れです。ただ、問題はその手前。スタートアップをテークオフさせるまでのステージ、つまり0を1にしたり、1を10くらいにしたりするまでの、会社のDNAが決まる本当の意味で大事な時期こそ、リスクを取って入社する有能な人材が必要なのです。

 もちろん既にそういった人材はいるでしょう。しかしもっと多くの優秀な人材のプールが、初期スタートアップには必要です。では、そういった人たちはいったいどこにいるのか? 大手企業にそういった人たちがいるであろうと仮定すると、そこからどうやって有能な人材をスタートアップの世界に引き込んでいけるか、という議論が必要になります。それらの人材とスタートアップの邂逅(かいこう)なくして、真のイノベーションは起こりえません。

優秀な人材をスタートアップに引き付けるためには

 要は「スタートアップに飛び込んだ方が夢がある」「やりがいがある」と思えるかどうか。有能な人材がスタートアップでよりよい仕事ができる、自分が興味を持てる面白い仕事があって、結果自らの人生を豊かにできるということを感じることができれば、大手企業とスタートアップの間で人材が流動化するはずです。

 そうはいっても、金銭的魅力は重要です。夢があってもお金がもらえないのであれば、躊躇(ちゅうちょ)するのは当然でしょう。しかし、起業したてのスタートアップには、大手企業並みの福利厚生と給与体系をすぐに提供できるような潤沢なキャッシュは手元にありません。ではどうするか? ストックオプションはその解決策になり得ると筆者は考えます。

 大手企業でキャリアを積んだ優秀な人が、人生を懸けてスタートアップに転職する。スタートアップが成功したときに、いわゆる成果報酬として、ある程度の大きな金額を得ることができるという夢を、ストックオプションは見せてくれるはずです。しかし、まだその制度は十分とはいえません。今回は、ストックオプションについて、日米におけるギャップを中心に触れていきたいと思います。ややテクニカルな話題となりますが、お付き合いください。

ストックオプションに秘められた経営者の意図

 改めて、ストップオプションには大きく分けて4つの機能があり、それぞれ付与する側の意図があります。(それぞれに重なる部分があります)

 1つは潤沢なキャッシュに必ずしも恵まれないスタートアップにとっての、現金報酬の代替として。もう1つは優秀な人材の獲得、およびリテンションの手段として。リテンションとは退職を防ぐという意味ですが、優秀な人材をつなぎ留めるモチベーションの材料として、ストックオプションを活用するということです。

 さらには、事業成長、成功に伴う中長期での金銭的アップサイドを、創業者や投資家と従業員の間でその価値を共有するという機能もあります。つまり、従業員も頑張って成果を上げてスタートアップの企業価値を高めたとき、金銭的な見返りがあるようデザインしておく、ということです。

 そして最後が、解雇時の退職金としての役割です。日本や欧州主要国と比較して、特に米国では解雇が比較的頻繁かつ容易に行われますが、そのときの解雇手当の一部としてストックオプションが使われることがよくあります。

 なお、通常、従業員向けストックオプションは、付与された時点では行使権利は発生しません。一般的に、“4 year vesting 1 year cliff”と表現されますが、付与されたオプションは入社してから1年が経過した段階で、その25%の行使権利が発生します。その後、基本的には1カ月ごとに48分の1の行使権利が発生していき、最終的に付与から4年間の在籍ですべての権利を行使できるようになります。先に述べたリテンションの観点では、例えばちょっとずつストックオプションを増やして付与することで、少なくとも最初のクリフ(崖)まで頑張ろう、さらなる行使権利獲得のためにもう少し長く在籍しよう、といったモチベーションが生まれるというわけです。

避けて通れない「普通株」と「優先株」の問題

 経営者や従業員は、株主に対して企業価値向上の責任を負います。ストックオプションを通じて潜在的な株主となることで、彼らにも企業価値向上の成果が共有されるわけです。この際、しばしば見過ごされながらも実は大事なこととして、ベンチャーキャピタル(VC)をはじめとした投資家が購入する証券と、従業員がストックオプションを通じて潜在的に保持する証券は別のもの、という論点があります。端的にいえば、VCが購入するのが様々な権利が保証されている優先株、従業員が潜在的に持つ普通株は、各種権利の点で優先株に劣後します。この権利の違いのため、全く同じタイミングで購入した場合でも、それぞれの株価が異なります。

 実はこの株価の差こそ、企業がうまくいった場合に従業員が得られる、さらなる金銭的アップサイドとなります。特に米国の場合は「IRC Section 409A(以下、409A)」という株式算定ルールがあり、非上場企業は税務当局が定めたこのルールに基づいて株価が算定されます。これに基づくと、優先株と普通株ではともすると5倍程度、場合によってはさらなる開きがある場合があります。

 例えば、1株10ドルでVCが優先株を購入した資金調達ラウンドのタイミングで権利付与されたストックオプションの行使価格は、普通株の算定株価である2ドル、という具合です。

 未上場株式の投資家は、株式上場や企業売却を通じて株式を売却します(イグジットイベントと呼ばれます)。株式市場に上場されるのは基本的には普通株。投資契約の中で、ある一定条件の下で株式上場する場合には、優先株が普通株に一対一の割合で自動転換されることが規定されます。また、技術的詳細は省きますが企業売却の場合においても、優先株購入者の株価よりも高い金額で売却ができる場合は同様に、優先株の普通株転換がなされます。

 ストックオプション保有者である従業員は、(米国の場合409Aに基づき)非常に安価に普通株を購入でき、最終的にはVC投資家と同じ株価で売却、より多くの売却益を手にすることができます。優先株の価格もまだ安価で、さらに比較的多数のストックオプションが得られる創業間もないスタートアップに入社して、懸命にいい仕事をし、自分たちが高めた企業価値の成果を投資家とともに得る、という動機づけの仕組みが成り立ちます。

 日本においてもVC投資家は投資に際して優先株の取得を行いますが、実は現状、米国の409Aに相当する種類株式の評価基準が存在しません。このため評価者は比較的保守的な評価を取らざるを得ず、結果として、優先株と普通株の株価にあまり大きな違いが生まれない、という問題があります。ストックオプションを米国並みにするには、株価算定ルールが必須と考えられます。今、自民党や政府で盛んに行われているスタートアップ振興政策を巡る議論の中でも、この部分にぜひ着目してほしいと思います。

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