社内に潜む膨大なデータを、どのように顧客への価値提供に活かしていくか? 貴重なヒントを与えてくれるのが、早くからTreasure Data CDPを運用し、ユースケースを積み上げてきたソフトバンク株式会社のモバイル事業推進本部だ。
同社は以前から、AIスコアリングを独自開発し、One to Oneの顧客コミュニケーションを推進してきた。CDP(カスタマー・データ・プラットフォーム)により顧客データを統合することで、PDCAを高速化し、AIと施策の精度を向上させるなど、先進的な取り組みを加速させている。
通信キャリアという特性上、厳しいセキュリティの要件を乗り越え、データ活用を推進する同社の取り組みには、現代マーケティングのエッセンスが凝縮されている。当初からCDPの開発・運用に携わってきた、同社モバイル事業推進本部の統括部長である福井秀夫氏に、これまでの歩みと将来の展望を聞いた。
- One to Oneのコミュニケーションで顧客体験と収益の向上を目指す
- AIスコアリングにより顧客の解像度を高める
- 厳格なセキュリティのなかでAIエージェント活用を模索する
- CDPを軸に部門横断のデータ活用組織が発足
- 使われてこなかったデータに価値がある
One to Oneのコミュニケーションで顧客体験と収益の向上を目指す
ソフトバンクの通信キャリア事業のなかで、スマートフォン/携帯電話の商品構成や、料金のプランニングなど、コンシューマー向けのサービス設計を担うモバイル事業推進本部。その中で、顧客とOne to Oneのコミュニケーションを構築し、デジタルマーケティングを強化・推進するのが福井氏の役割だ。メールやアプリを通して、機器の買い替えや、適切な料金プラン、オプションを提案するなど、顧客サービスおよびARPU(顧客あたりの平均収益)の向上に取り組む。
「お客様とのコミュニケーションは、アップセルやクロスセルの機会であると同時に、離脱につながるリスクにもなり得る」と福井氏。メッセージの回数が多すぎたり、「3カ月前に新機種を購入したばかりのお客様に機種変更の案内を送る」(福井氏)など、的外れのコミュニケーションは、顧客の信頼を損なう可能性もある。こうした課題に対して福井氏は、「お客様のニーズに応じてセグメント化し、最適なシナリオに基づき、一人ひとりに合ったコミュニケーションを図る」と、データマーケティングの取り組みを語る。

同社はTreasure Data CDPを導入しておよそ7年(取材時)。当初から運用に携わってきた福井氏は、近しいユースケースが少ない中、一からCDPの活用法を模索し、ときにはトレジャーデータへの率直なリクエストも送ってきた。「フランクに要望できるのは、高いエンジニアリング力があるから」(福井氏)との期待に応えるため、トレジャーデータとしても社を上げて改善に取り組んでいる。その結果、サービスやプロダクトの向上につながったケースも少なくない。
トレジャーデータは米国に本社を置くグローバル企業だが、日本人が創業したこともあり、売上の約半分を占める国内事業を非常に重視している。ITに限らず、高品質なプロダクト、きめ細かいサービスに慣れた日本企業の要望は、当社にとって貴重な情報となる。
AIスコアリングにより顧客の解像度を高める
「私たちのビジネスでは、PDCAサイクルのスピードがもっとも重要だ。施策の手数を増やすことが、その後の飛躍的な進化につながっていく」と福井氏。同社のCDP活用の目的は、仮説検証の高速化に重きを置いている。
ソフトバンクは、社内に膨大な顧客データを保有しており、その管理は高度かつ複雑になっている。「社内には数百のシステム、数千のデータベース、さらにそのなかには、数え切れないほどのテーブルがある。散らばったデータを1カ所に集めるのは大変な作業」と、福井氏はデータ活用の難しさを語る。
そんななかでも、あらゆる顧客データを1カ所に集約し、いつでも使える状態に整理できるのが、Treasure Data CDPを運用するメリットだ。以前は分析に必要なデータを抽出するにも数日かかっていたが、Treasure Data CDPの導入により施策実行のリードタイムが大幅に短縮したという。
また、以前からソフトバンクが研究開発してきた独自のAIスコアリングにも効果を発揮したと福井氏は語る。多様なデータを掛け合わせることで、通常の契約情報や利用データからは判別できない顧客像を推定し、コミュニケーションに反映させている。
たとえば、新入学シーズンやボーナスシーズンなどに家族がスマートフォンを新規購入する可能性や、ポイントキャンペーンに対する個別のインセンティブ効果(ポイント進呈などをその人が欲しているか)など、行動を左右する要因を見極め、顧客ごとにスコアリングする。
その際、どのようなデータをインプットすれば、AIはより精度の高いスコアリングを実行できるのか。以前は前述の通り、社内からデータを集めるだけでも時間がかかっていたが、Treasure Data CDPでデータ抽出の速度が上がり、柔軟な仮説の立案と、素早い検証ができるようになった。

なお一連のプロセスでは、スコアに応じたシナリオの適用など、Treasure Data CDPのジャーニーオーケストレーションも一部活用している。
結果的に施策の絶対数が増え、「以前はAIに提供するデータは多いほうがよいと考えていたが、項目数が多すぎたり、過去のデータが入っていると、AIの足かせになる」(福井氏)など、意外な事実も見えてきた。福井氏らは、データに対するAIの出力を繰り返しテストし、場合により複数のモデルを比較するなど、その精度を向上させてきた。
業務の効率化は、人的リソースの有効活用につながる。以前は散在するデータの収集に多大なリソースを使っていたが、今では作業の多くが不要になった。能力のある人材が、データの分析・活用など、より生産性の高い作業に従事できるようになり、それがAIスコアリングの精度向上をはじめ、付加価値の創出につながっている。
厳格なセキュリティのなかでAIエージェント活用を模索する
従来からの課題だったAIスコアリングの精度向上は、CDPによるデータ環境の改善で、一定の成果を挙げた。次に福井氏が見据えるのは、AIエージェントの活用だ。
AIスコアリングがそうであるように、AIエージェントに対するデータ供給の基盤としても、Treasure Data CDPが果たす役割は大きい。
また、「CDPで負担は軽くなったものの、現場のデジタルマーケティングには、依然として多くの工数が必要だ」と福井氏。さらなる業務効率化に向けて期待されるのが、生成AIがデータ分析を支援するトレジャーデータのAIエージェントファウンドリーだ。

「これだけのAIエージェントを、一から作ると莫大なコストがかかる。それをサービスとして利用できるのは、コストパフォーマンスが高い」と福井氏は期待を寄せる。当然ROIを検討する必要はあるが、福井氏はここでも施策数を重視。「たとえば、限られた時間で、ひとつしか考えられなかった施策が5つになれば、収益機会は大きく増大する」と評価した。
現在、人が行っているCDPのデータ抽出を、AIエージェントに任せられるようになれば、さらに工数は削減され、マーケティング企画など人しかできない業務にリソースを投下する余地が生まれる。また、AIエージェントファウンドリーは、分析、仮説推論の支援も行うため、企画立案のスピードや精度の向上に、直接的な貢献への期待もかかる。
一方で、通信キャリアという事業の特性上、セキュリティの課題は大きい。「通信の秘密は憲法で守られた基本的な権利であり、万が一でも、漏洩するようなことがあってはならない。常に危機感を持っている」と、福井氏は強い姿勢を示す。
今後、AIエージェントを活用する上で、AIが管理者の想定を超えてデータに接触するような事態は、本当に起こらないのか? 企業はどのようにAIを確実に制御して行けばよいのか? 技術的な議論にとどまらず、ガバナンスを含め、会社全体で方向性を整えていく必要がある。
一朝一夕に答えは出せないが、AIエージェントへの積極的な態度を明確にし、同時にセキュリティの要件が極めて厳しい同社の動向は、安全で責任あるAI活用の指針になるだろう。
CDPを軸に部門横断のデータ活用組織が発足
このように、AIを軸にCDP活用を進めてきたモバイル事業推進本部だが、今後はその知見を全社的に広げるフェーズに入っていく。2025年4月にモバイル事業推進本部を含む3本部にデジタルCX統括部が発足し、福井氏は各統括部の統括部長を兼任するようになった。
これまでも、ソフトバンクユーザーだけでなくY!mobileユーザーの顧客にメッセージを送るなど、部門横断のマーケティングは一部で行われてきた。さらに、独立した事業部門を横断するデジタルCX統括部を設置することで、組織を横断するシナジーを強化するのが今回の狙いだ。
「組織・ブランドごとの考えを尊重しつつ、組織毎に違ったプロモーションのエントリー方法や効果測定などのルールを統一化して、工数削減することが可能になった」と、福井氏は早速の手応えを語る。それらを統一することで部門間のコミュニケーションがスムーズになり、部門長の管理工数も削減されたという。

また、各事業で成果を挙げたセグメント、シナリオのケース、あるいはオフライン/オンラインのメディア組み合わせといった手法を共有するなど、組織的にマーケティングの精度を向上できる体制が整った。
使われてこなかったデータに価値がある
今後のデータ活用の展望について福井氏は、「データや生成AIは、手段に過ぎない。お客様一人ひとりに快適なコミュニケーションを提供し、好きになっていただけるブランドを作ることが目的だ」と本質に立ち返る。結果としての業績だけでなく、顧客が納得の上で、商品の購買やプランへ加入できるプロセスが、デジタルマーケティングの重要な課題になる。
そのために福井氏が見据えるのは、現在取得していないデータの活用だ。「例えば、カメラの利用状況により適切なモデルを紹介する」といった、顧客メリットを向上するコミュニケーションの例を挙げる。現時点において、スマートフォンのカメラの利用状況を通信キャリアが把握することはない。しかし、端末のなかに存在するデータであることは事実だ。顧客の同意を得たうえで、それらのデータをCDPに追加できれば、顧客サービスの幅はぐっと広がるはずだ。
繰り返しになるが、「顧客の同意を得て」はじめて可能になる施策であり、許諾のルール整備など、トータルで枠組みを整える必要がある。「一律の世界観を押し付けるのではなく、多様なお客様のニーズに応えることが必要」と、福井氏は顧客本位を強調する。
また、福井氏はデジタルでは捉えきれない情報にも目を向ける。例えば「ソフトバンクショップには、お客様から、自然と親近感を持っていただける魅力的なクルーがいる」と言及。彼らは接客中の何気ない会話を通じて、顧客の好みや旅行先といった価値観・趣味嗜好を把握し、心のこもったコミュニケーションを行っている。AI活用が進むほど、このような人と人の感情的なつながりが、重要性を増すだろう。
「これまでは業績という観点でしか、評価されてこなかった部分もある」と福井氏は語る。今後は、こうした見えない価値をデータとして可視化し、CDPとAIに展開することで、新たな顧客体験の可能性が見えてくる。次世代のデジタルマーケティングと顧客コミュニケーションの輪郭を示すビジョンだ。




